19世紀の欧米諸国-1

I、 自由体制とナショナリズム 保守的なウィーン体制に対して、自由主義やナショナリズム(国民主義、民族主義)の 1立場から各国で反抗運動が起きた。 自由主義:多くの人々の政治への参加、経済活動や信仰の自由。 ナショナリズム:「民族主義」と訳す場合は、「他国の支配下におかれた人々が自分たちの独立国家を作ろう」という考え方 。 「国民主義」と訳す場合は、味通の文化を持っているのに分裂させられている地域を1つの国にまとめよう」という考え方。

 

2.ウィーン体制への抵抗運動と失敗 ドイツのブルシェンシャフト(ドイツ学生組合)の運動。ドイツの自由と統一を求めて運動を起こしたが、オーストリアによって弾圧された。 スペイン:立憲革命フランス軍の干渉で挫折。 イタリアにカルボナリの反乱。オーストリアにより鎮圧された。 ロシアン カルボナリの乱。首謀者は処形・流刑された。

 

3.ウィーン体制のほころびラテンアメリカ諸国の独立が成功した理由  (l.) スペイン本国が、ナポレオンの侵入で弱まったこと。  (2). イギリスや アメリカが市場拡大を狙い独立を支援したこと。 ギリシャ独立(1821年~29年)の成功 オスマン帝国からの独立に成功。その理由としては ① 東地中海への進出を狙っての、ロシア、イギリス、フランスによる独立支援。 ② ギリシャ文化へのあこがれ(バイロンの参戦はその好例)による西欧政府や民間からの独立支援。 ③ 1830年のロンドン会議(議定書)で正式に承認された。 ④ フランス復古王政(1814年~30年)→7月革命 (1830年) ルイ18世の治世(1814~24年にブルジョワ勢力と貴族勢力のバランスを図った政治。 シャルル10世の治世(1824年~30年)と7月革命(1830年) アルジェリア占領の機会を利用して、反政府運動・出版活動に弾圧を加えたため、7月革命が起った。その後、オルレアン家出身のルイ=フィリップが国王となり、7月王政が成立した。

 

4.フランス7月革命の影響 ベルギーの独立-_-オランダから独立し、永世中立国となった。   ポーランドでの反乱が失敗し、ロシアの直接統治下におかれた。   イタリアの騒乱:カルボナリの反乱はオーストリアに鎮圧され、以降、マッツィーニの指導した青年イタリアが主流となる。   ドイツの騒乱-_--_-オーストリアに鎮圧され、政治的統一には失敗したが、1834年1月、ドイツ関税同盟が発足し、経済的統一は前進した。

 

5.イギリスの自由主義的改革 フランス革命~ナポレオン戦争の時代のイギリス ① 世界で最初に産業革命を行って、経済力に業かが発展した。 ② 1801年にアイルランドを併合し、大ブリテン=アイルランド 連合王国を成立させた。 ③ ナポレオン戦争中、ラテンアメリカへ、経済進出を行った。 ④ ウィーン会議でケープ植民地やスリランカを獲得した。 ウィーン会議直後のイギリス 1815年穀物法の公布。地主の利益を守るためヨーロッパ大陸からの輸入穀物に高い関税をかけて、国内穀物価格を高いまま に維持するための法律。 1820年代 1822年、外相にカニングが就任し、自由主義を進めた。 1828年、審査法の廃止。カトリック教徒を除く、非国教徒の公職就任が認められた。 1829年、カトリック 教教徒解放法の成立。カトリック教徒の公職就任も認められた。 アイルランド出身の 正久治家オコンネルが活躍した。 1830年代以降、 1832年、第一回選挙法改正案の成立。  l. 腐敗戦争区の廃止。 2. 産業資本家層に対する参政権の大幅な拡大。 3.労働者は政治参加が認められず、チャーティスト運動を始めた。 1846年、殻物法の廃止。マンチェスターの資本家がデンやブライトらの結成した反穀物法同 盟の運動によって成功した。  1849年、航海法の、廃止。これによって自由貿易主義が実現され、重商主義政策は過去のものとなった。1833年の東インド 会社の中国貿易独占権の廃止もこの流れの中の出来ごとであった。

 

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1848年の諸革命(パリ2月革命が発端)

 

2月革命 第二共和政(1848-52年)

 

7月王制に反対して、中小ブルジョワジーや知識人らは選挙権拡大や共和政への移行を主張。ルイ=ブランらの社会主義者の活動も活発化した。
そのために行われた改革.宴会を政府が弾圧して革命に(2月革命)となり、ルイ=フィリップは亡命した。
その後、臨時政府が樹立され第二共和政が成立し、言論・出版の自由が認められ、国立作業場が設置された。

 

4月の男性普通選挙で社会主義勢力が惨敗し、国立作業場が廃止されたので労働者らが六月暴動を起こしたが、共和派政府軍 に鎮圧された。その後の選挙でルイ=ナポレオンが選ばれた。

 

 

1848年の諸革命(各国への波及)

 

(オーストリア帝国領内)

 

3月、ウィーンの暴動(ウィーン三月革命)で、メッテルニヒは失脚し、憲法制定議会招集の約束、出版の自由の承認など自由主義的改革が行われた。

 

また、帝国領内各地で民族主義運動が燃えあがった。

 

ハンガリー. (コシュート)の指導によるマジャール人の運動.

 

ボヘミア. (チェック)人による民族自治を要求しての蜂起。

 

北イタリア、 ベネツィア・ロンバルディアでのイタリア人の反乱。

 

 

プロイセン

 

3月、ベルリンで暴動(ベルリン3月革命)が発生し、自由主義的憲法の制定の約束がなされたが、糸吉局は保守的害法が発布された。 (フランクフルト国民議会)

 

小ドイツ主義に基づくドイツ統一が決定されたがプロイセン国王がこれを拒否したため、失敗に終わった。

 

 

イタリア
北イタリアで反乱が生し、それに乗じてサルデーニャ国王がイタリアの統一に立ち上がったが、 オーストリアに敗れて退位した。
ローマでもマッツィーニに率いられた青年イタリアが反乱を起こして一時、ローマ共和国を建てたが、フランスの干渉を受け て失敗に終った。

 

イギリス

 

チャーティスト運動が大規模にくり広げられたが、厳しく弾圧されて、この運動はこれを最後に失敗に終った。

 

 

1848年の意義

 

i) ウィーン体制が最終的に崩壊し、自由主義に基づく資本主義体制が確立していく。

 

2) 労働者が数を増し,産業資本家(ブルジョワジー)と対立する勢力に成長していく。

 

(3)  ナショナリズム(国民主義)が力を増していくこと。

 

 

7. 社会主義思想の成立

 

社会主義の基本は、「平等」で、その実現のために「私有財産制度の否定」という主張もなされた。

 

 

空想的社会主義者

 

ロバート・オーエンは労働者の生活向上、工場法の制定に貢献、共産社会「ニューハーモニー村」の建設には失敗した。

 

サン=シモンはフランス社会主義の先駆者。
フーリエは共同組合運動を通じて、理想社会をめざした。

 

その他のフランスの社会主義者

 

ルイ=ブランは2月革命後、臨時政府の一員として活躍。

 

プルードンは私有財産制を否定した無政府主義者.

 

 

科学的社会主義者

 

マルクスの資本論は資本主義社会の仕組みを詳しく分析し社会主義社会の実現をめざした。

共産党宣言。エンゲルスはマルクスの協力者。

 

 

工場法 : 第1インターナショナルについて

 

工場法は工場労働者を守るために制定された法律。特に1833年の一般工場法が有名。

 

1インターナショナルは1864年にロンドンで設立された旭最初の国際的な労働運動組織。

 

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